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動画あり「内村航平」体操世界選手権5連覇も表彰式でハプニング

「内村航平」体操世界選手5連覇もまさかのハプニング!権表彰式で「君が代」が途中終了・・・も苦笑い

表彰式でハプニングが起きた。歴史を塗り替える金メダルを受け取った内村が、表彰台で誇らしげに君が代を聴いていたが、最後までかからずに曲が終了。まさかの展開に、内村も苦笑いを浮かべるしかなかった。

団体銀の雪辱!内村 無敵5連覇 日本人最多タイ15個目メダル

男子個人総合決勝が行われ、内村航平(25=コナミ)が合計91・965点で金メダルを獲得し、自身の史上最多記録を更新する5連覇を達成した。世界選手権の合計メダル数15、金メダル数7はともに日本人最多に並んだ。12日の種目別決勝・鉄棒で記録更新を目指す。田中佑典(ゆうすけ、24=コナミ)は、90・449点で銅メダルを獲得した。

ライバルが内村に追いつけないのは、得点だけではない。誰よりも高い志が、万能キングのキングたるゆえんだ。ただ一人、6種目全てで15点台をマークし5連覇を達成しても、反省の言葉が並ぶ。「5連覇で良かったと思うけど、平行棒と鉄棒がちょっとしんどかった。あそこで失速して、まだまだかなって思う」。わずかに着地が乱れた終盤2種目の出来が、許せなかった。

「内村航平」体操世界選手5連覇

他の4種目は、内村も認める完璧な内容だった。15・766点をマークした1種目目の床運動は、10点満点のEスコア(実施点)で9・166点。4種目目の跳馬は、さらに圧巻だ。この種目が得意の外国勢に並ぶ高難度の「ヨー2」に挑み、微動だにしない着地。驚異のEスコア9・633点に「いい跳躍ができた」とどや顔を見せた。

昨年は右肩の腱が切れる寸前の状態で世界を制し、今年は5月に左肩を痛めた。まだ25歳だが、長年の酷使による消耗を感じることが増えた。それは肉体だけでなく、メンタル面でも、だ。数年前なら、6種目の通し練習は軽く完遂できた。だが、「もうノリで通せなくなった。気持ちをつくってからやらないとできない」と苦笑い。今は、通し練習の日は体育館に入る前から集中を高める。試合に近いテンションで行う練習が、さらに高い次元に押し上げた。
 
10日で64年東京五輪開幕から50年。メモリアルデーを前に偉業を達成した内村は、20年東京五輪に向けた取り組みを始めている。6年後、31歳で迎える自国開催の夢舞台。内村はコナミの先輩で現在31歳の小林研也に、加齢に伴う体の変化や疲労回復のスピードなどを積極的に聞くようになった。「今の研也さんの年が僕が東京五輪に出る時と同じ。参考になる」と意図を明かした。

12日の種目別決勝・鉄棒で、今大会を締めくくる。金メダルを獲得すれば、世界選手権の金メダル数もメダル総数も日本単独最多となり、体操ニッポンの生きる伝説になる。「きょう(9日)みたいに最後止められないなんてことがないように、着地を止めたい」。16年リオデジャネイロ五輪、そして夢のTOKYOへ。万能キングの無敵の進撃は終わらない。

スポニチ

内村航平

生年月日 1989年1月3日(25歳)
生誕地  福岡県北九州市
故郷  長崎県諫早市
身長  161cm
体重  55kg
種目  男子体操競技
代表  2006-
所属  KONAMI
学歴  東洋高校→日本体育大学

1989年(昭和64年)1月3日、福岡県北九州市に生まれる。誕生時には元号がまだ”昭和”だったが、誕生4日後に”平成”に改元したことにあやかり、「平成の時代を真直ぐ渡れるように」という願いを込めて、”航平”と命名された。

父・和久は日本体育大学体操競技部出身で柳川高等学校時代に高校総体の種目別で優勝しており、母・周子も元体操選手、妹の春日(はるひ)も体操選手(日体大)という体操一家である。1992年(平成4年)に両親が『スポーツクラブ内村』を開設し、長崎県諫早市に移住したのを機に、3歳で体操を始めた。

両親の反対を押し切り、諫早市立諫早中学校卒業と同時に、塚原直也に憧れて上京し、朝日生命体操クラブに入門した。東洋高等学校を経て、日本体育大学体育学部体育学科に入学。大学では体操競技部に所属し、4年時には主将を務めた。高校生の時あん馬の種目で2点をたたき出したことがある。

日体大卒業後の2011年(平成23年)4月、山室光史とともにコナミスポーツ&ライフに入社。

2012年11月11日、一般女性と結婚した。

2013年4月19日、夫人が第1子となる女児を出産した。

Wikipedia

 

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